2014年12月31日水曜日

HARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン・MSCS-2TBを研究する(3)

 ナイスカットミル・みるっこを、設計のため工場に預けており、この3か月ほど、手動式のコーヒーミルを使うことが多くなってきました。

 いろいろ使うようにしているのですが、一番頻度が高いのはHARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン・MSCS-2TBです。なんといっても、メンテナンスが楽です。本体はほとんど汚れませんし、周囲はまったくと言って良いほど汚れません。分解掃除も楽、保管場所も取りません。木製のキャビネット型のミルは、ほとんど使わなくなりました。

 いったん評価が定まったかのように思えたHARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン・MSCS-2TBについて、書き足したいと思います。


 まず、挽く際の評価について、訂正しなければなりません。前回「ホッパーとガラスの受け皿をねじ止めしている部分の径が大きいので、とても疲れます」と書きましたが、台や机の上に置かず、手に持って挽けば、それほど苦にならないことも明らかになってきました。1人分(10g)程度なら、豆が飛び散ることもありませんし、蓋をすれば飛び散る心配自体なくなります。KONO F303ほどの軽さではないにせよ、1人分挽いたら、もう嫌だという気持ちにはならない重さです。電動式のミルを使うようになってから、しばらく手動式のミルから遠ざかっていましたが、これなら毎日、毎回その都度挽こうという気になり、実際、その通りになっています。


 また、冬場になり、静電気が気になる季節になってきました。コーヒーミルを愛用する方にとっては、微粉の処理が気になる季節でもあります。HARIO セラミックコーヒーミル・スケルトンMSCS-2TBは刃にセラミックを使用するだけあり、微粉のつく量が少ないです。これは、明らかに使い勝手が電動ミルを大幅に上回っています。 ナイスカットミル・みるっこをお使いの方はわかると思いますが、静電気による粉の出る口の周辺に付着する微粉の多さと、掃除の大変さは、毎回、大変なものです。その点、HARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン・MSCS-2TBは、周囲が全く汚れないので、掃除が不要です。もしかしたら、電動ミルが戻ってきても、使わなくなるかもしれません。


冬場に挽いた直後の状態。こぼれた量も、たったこれだけです

 自然に手が伸びるミルというのが、使いやすいミルだと思いますが、HARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン・MSCS-2TBは、間違いなく、もっとも使いやすいミルです。前回の投稿も一部を訂正したいと思います。
 

2014年12月28日日曜日

コーヒーミルを作ることにしました(7)

先日、工場に出向き、新しく設計した替刃の試作をしてきました。
  •  豆を挽き込むスペースを設けること
前回の反省を踏まえ、かなりのスペースを割いたつもりでしたが、それでもまだスペースが足りないようです。また、豆をひきこむ形状が、加工上、困難なものとなっていました。目の前で、汎用フライス盤にセットするのですが、どう部品を置いたら良いのか非常に迷いました。自動機器なら問題にならないのでしょうが、工数を減らすことも目的としているので、無駄に複雑な形状は見直す必要があります。

豆を引き込むスペースをなくした状態にまで設計を戻しました
 年内には完成させるつもりでしたが、まだまだのようです。


 旋盤やフライス盤で作業するのを見ると、実際に形にするには、実に多くの制約があることに気づかされます。CADのレンダリングではなんともないように見えるものでも、 加工するには、多くの手順が必要だったりすることがあります。日本の工場の職人たちは、それをなんとか工夫して、最小の手順で実物にしてきました。その過程には大きな智慧を感じます。人それぞれに異なるアプローチから考えた手順があり、傍目には同じに見えるものでも、その過程は、決して同じではありません。どれが正解というわけではなく、使っている機械のクセによっても手順は変わります(精度が出ている機械なら、ゆるくはめて、何度も少しずつ削るのが良いでしょうし、馬力のある機械なら、がっちり噛みこんで、一度に削る方が早く、生産性も上がるかもしれません)。

 工夫の跡を知った時は、静かな感動があります。先人の知恵を知り、敬意を払うことができることに幸せを感じます。

 工場に通い、熟練職人の機械の操作を見るようになってから、わずかですが、頭の中だけで設計したものと、機械の制約のなかで設計したものの区別がつくようになってきました。

 純粋に好みの問題ですが、私は機械の制約の中で設計したものの方に魅力を感じます。

2014年12月13日土曜日

コーヒーの味の評価と良い手動式ミルの条件について 当ブログのスタンス(2015/4/25 条件を追加)

 味の評価について、今まで何も書きませんでした。ここで、改めて当ブログのスタンスを明らかにしたいと思います。なぜ、一番重要な味の評価をしないのか。

理由は、わからないからです。

 客観的な評価をするには、限りなく似たような条件を作りだすことが必須だと思っています。誰が行っても、同じ環境で行えば、同じ結果が出るというのでなければ、科学的とは言えません。

 ミルを比較してわかったことは、似たような形状の刃でも、本体の大きさ、設置の仕方で挽き心地が大きく異なる事(逆も真なりで本体はほぼ同じでも、刃が異なれば挽き心地は大きく異なります)でした。 さらに言えば、同じ個体を使っても、設置の仕方ひとつで全然違ったものになります。

 味は、さらに繊細で、微妙なものだと思います。

 厳密にいえば、比較するなら同じ釜で焙煎した、同じロットの豆を、同じ粒度で、同じ温度、同じ方式のドリップ、同じ形状のカップ、同じ温度で飲むことが必要でしょう。しかし、これは、比較対象が多くなればなるほど、現実的ではありません。同じ温度に至っては不可能といってよいでしょう。しかし、全て「同じ」ではないにせよ、可能な限り条件を近づけようとするのは、まじめに比較をしようとする者にとっては常識だと思います。
 さらに、前提としてコーヒーの味が分かることが必要です。私は官能検査の訓練を受けたわけでもなく、特別にコーヒーの味に詳しいわけではないという自覚があります。

 では、そんな私が何を持って良いミルとするのか。

 コーヒーの味は 煎りたて・挽きたて・淹れたての「三たて」がおいしいとされています。そのうち、コーヒーミルにできるのは、挽きたてです。古い粉が混ざったコーヒーでは、挽きたてのコーヒーとは言えないでしょう。それは、たとえ一杯飲むごとに豆を挽いていても、ミルの中に古い豆、粉が残っていたら、同じことだというです。古い豆、粉がミルの中に残らないこと、これが第一の条件です。

 第二の条件は 、分解・掃除・組立がしやすいことです。これは第一の条件と同じように思えますが、若干異なります。第一の条件は毎回分解しなくとも、粉が残りにくい構造にすることです。現実的には、毎回分解掃除をすることはないでしょうから、分解しなくとも粉が残りにくくすることが一番重要です。第二の条件に上げたのは、分解掃除をしたくなったときに、それが気軽に行えるようにすることです。これが億劫になると、いつまでも古い粉が残り続けることになります。また、構造的に分解・掃除・組み立てがしやすいのはもちろんですが、材質的にも柔らかすぎて変形してしまうものは避け、錆びにくい材質を使うことも重要です。第一の条件、第二の条件とも、古い豆、粉をミルの中に残さないという目的は同じですが、ミルの構造としては別条件です。

 第三に、挽き心地が軽いことです。当ブログを始めようと思ったきっかけは、知人にコーヒーミルを贈ったのに、疲れるから使うのをやめてしまったことでした。どんなにおいしいコーヒーが挽けるミルでも、使われなくては意味がありません。軽快な挽き心地は、手動式ミルの必須条件と考えます。

 第四に、周囲を汚さないことです。いろいろなミルを使ってみて思ったのは、想像以上に周囲が汚れることです。コーヒーを一杯入れるだけで、いろいろなところを掃除しなければいけないのでは、使うのが億劫になるでしょう。周囲を汚さないことも、良いミルの条件です。

 第五に、収納しやすい事です。あまりに大きかったり、食器棚に収納しにくい形状では、邪魔になるばかりです。気軽に使いたいと思えるようにするには、一般の家庭事情に合わせた形状も考慮すべき条件と思います。

 第六に、意図した粒度で挽けることです。いろいろなミルを使った結果、意外と粒度にばらつきがあることに気がつきました。特に挽き始めのころ、大きく粗い、意図した粒度以外の粉が出てくることがあります。どのミルにも調節機構があるにも関わらず、それが機能しないのは、なんらかの問題があるはずです。機械の基本機能として、意図した粒度に安定して挽けることも良いミルの条件です(2015/4/25追加 「第七の条件」にせず、すみません「満足感の高さ」だけが抽象的なので、最後の条件にしたかったためです)。

 第七に満足感の高いことです。この項目だけが抽象的なものになりますが、HARIOのミルを研究しているときに認識しました。いかにもおいしそうなコーヒーが挽けそうだという気持ちにさせることは、嗜好品だけに大変重要です。それがデザインなのか、ブランドなのか、何かはわかりません。おいしいコーヒーを入れてもらったという経験、思い出であることもあるでしょう。
 コーヒーを飲もうと、ミルを取りだす時から気持ちが高まり、挽いている時もちろん、挽き終わった後も飲む時に横に置いて眺めたい。たとえ挽かない時でも、持っているだけで豊かな気持ちになれるミル。矛盾した話ですが、これは前項に挙げた1~6を凌駕します。どんなに欠点の多いものでも、気持ちが豊かになるものは、それだけで価値があるものです。

 当ブログの作成するミルは、「過剰品質」を目指したいと思います。愛情と高い志で、持つ人はもちろん、見る人の心を豊かにすることを目指します。

単純だと思われるミルの設計ですら、困難の連続です。

 その中で、何度か一流の職人と出会う機会がありました。キサゲの名人、伊勢神宮の式年遷宮に神宝を奉製した職人、名前を書けば、誰でも知っているような世界的な絞り職人・・・。世界的な絞り職人に紹介してくださるとのお話は、結局お断りしました。

 私のしていることは、極論を言えば、既存の製品のコピーを作るだけ。それもいくつ作るかわからないほどの少ない個数で、コストの話しかできないというものです。有名人会いたさに、そんな人間がノコノコ出て行ったのでは、紹介者の顔までつぶしてしまいます。

 個人で資金も潤沢でない私が、彼らに認めてもらうためには、作る製品はもちろん、自分にも魅力がなければなりません。何のために作るのか、明確にする必要がありました。
 
 動機、善なりか

 世の中に、その製品を必要とする人がいるか。その人のことを思って、仕事ができるか。

 答えは、善なり。両方に合致すると言い切れます。私は機能、形状はもちろん、愛情と高い志で、持つ人はもちろん、見る人の心を豊かにするコーヒーミルをつくることを目指します。


 サン=テクジュペリの「夜間飛行(堀口大學 訳 新潮文庫 1972年版の文庫本の装丁が美しい)」に‘大地に光る家々のかすかな光を見ながらこう思う。「あの農夫たちは、自分たちのランプは、その貧しいテーブルを照らすだけだと思っている。だが、彼らから80キロメートルも隔たった所で、人は早くもこの灯火の呼びかけに心を感受しているのである」’といった一文があります。
 
 この世の中のどこかにいらっしゃる、価値観を共有した人のための灯を照らしたいと思います。